SPITZ 初めての本

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spitz

1987年に結成された男性4人組、ロックバンド。草野マサムネ、三輪テツヤ、田村明浩、崎山龍男。今年で音楽活動35周年を迎える。2023年6月より3年ぶりの全国公演ライヴ「ジャンボリーツアー ひみつスタジオ23-24」がスタートする。

 スピッツ、初めての単行本

 実は山も谷もあったスピッツ。デビューから1998年までJAPAN誌上に掲載されたアルバムインタビューとメンバー全員の2万字インタビューを全網羅! 素顔に迫った撮りおろし写真はもちろん、懐かしのヒストリーフォトも厳選!全462ページ、ここでしか見れない貴重なコンテンツが満載の永久保存版!ここではスピッツ初自記伝を目次になぞりながら、感想を述べていく。

🌸『スピッツ』→「元気に生きていこう!」より「ふわっと死んでいこう!」がいい(1991年3月号)


 

 1980年代イギリスではパンク流行ってて、日本ではパンクバンド活動する決意するもブルーハーツにショック受けて、音楽の方向性を変更する。逆に殻に閉じこもっちゃて 野望なしの90年代 歌詞は散歩系。一人称は全て僕だけど一曲だけ「俺」で書いたのがある。それが精一杯…。「ヒバリのこころ」はデビュー曲で最近のライブでも必ず歌われている1曲である。

 すべての歌詞や楽曲はボーカルのマサムネさんが担当しているが、自他共に認める「あまのじゃく」気質のためかすでにロックとは遠い世界への幻想や思想があったのかもしれない。

🌸『名前をつけてやる』→どうせ死ぬなら綺麗に生きたい(1991年12月号)



 前作同様に野望なし。ゆるーい曲調と独自の歌詞の「言葉あそび」で続く。楽曲の歌詞にはマサムネさん独自の世界観が強く出ていることはファンの間では有名でありご本人も都度都度回答されているが明確な回答はなく「皆さんのご想像の中で楽しんでいただければ」と繰り返している。この時期では、季語指摘されることがあった。他ロックにそんなのないのにね…と苦笑される。

このアルバムでは「恋のうた」が収録されているが、スピッツが本格的にゆるーくなった決定的な1曲とマサムネ談。(笑)

🌸『オーロラになれなかった人のために』→思いっきりいろいろやっちゃってもスピッツになるって自信がある(1992年5月号)


 

 野望が見えてきたミニアルバム。5曲収録されている。オーケストラサウンドに仕上がっており何か違うことをしようと試みた1枚である。前回のアルバム「魔女旅に出る」のときにオーケストラサウンドのアレンジができる機会があれば・・という話があり急に決まったため前作から5か月後のリリースになったよう。視野が広がったことや「平和主義ロック」から脱出できるきっかけになったか!?

 印象的なのはピアノソロの「田舎の生活」

 以前、大阪城ライブで聞いたことあるがマサムネさんの声の世界観に引き込まれたことは記憶に新しい。

🌸『惑星のかけら』――ちょっと出てパッと消えるバンドじゃない、という意気込みは出てきたし(1992年10月号)



 一発屋じゃないて意気込みでてきた。やっとロックぽくなって。ノリの良い曲調と空想の中で生きてる「歌詞観」、SFラブソングみたいな感じ。ハニーハニー、僕の天使マリ、白い炎、波のり・・セールス的にはいまいちだったらしいが、マサムネさん的には「やりたいことがやれたアルバムで唯一全曲聴けた」と話している。

 中でも「アパート」は、2013年8月にスピッツ単独野外ライブ「横浜サンセット2013」開催時に選曲された一曲だが野外で聞くアパートは強烈な記憶に残ってる。一緒に住んでた恋人との心情を男性目線で歌った曲なのだ。この日は伴奏がオリジナルであったことや、このライブが円盤化しないというプレミアム感と相まって特別なアルバムなんだと想起される。

🌸世界スピッツ化計画 1993年3月号~12月号連載


 

 過去3作アルバムの歌詞の世界観について。ここでは渋谷で計6回のマンスリーライブ開催したしたことや、マンスリーライブの4人対談が記されている。マサムネさんの歌詞のテーマは「死とセックス」であり、その表現方法には適宜、様々な生き物の姿や動きに揶揄されリスナーの想像力を掻き立てる「言葉あそび」はいまだに建材である。

🌸『クリスピー』――不細工なモグラの政権を勝ち取ってしまおう(1993年10月号)


 

 1993年、日本は冷夏で話題となった年だ。不細工なモグラは「クリスピー」にでてくる一節。弱者や被害者意識を表にバーンと表現しようという歌詞の曲が多い。自分を肯定してくれたり、好きでいてくれたりする子に熱が冷めちゃう。「ドルフィンラブ」まさに冷たいからいいという ツンデレ全開。

🌸『空の飛び方』――常に時代に対して、お汁粉に塩を入れるみたいな存在でありたいっていうか(1994年10月号)



 歌作る時「死とセックス」だけ。なぜラブソングばっか歌うのか?これも前述の通り生き物の生死を例える表現が多く、リスナーからすると誤解を受けることも少なくない。アルバムのタイトル名も当初は「飛び方」と決めていたけどイマイチだってことで「空の飛び方」に。前作の「君が思い出になる前に」がオリコン左側へ入ってきたことなどあり自信がついてきたこと、代表作「空もとべるはず」(※現在は音楽の教科書に掲載されている)もあり「俺らの飛び方はこうだ!」みたいな方法論を表現したかったようだ。当時売れ出してきたこともあって、スピッツの歌詞に疑問を持ったリスナーが「薬やってんじゃないか?」と噂がしばらく続いたことも・・。

🌸95年度版 マサムネ白書



 作品や音楽論についてはすっきりな回答はしてくれない。ここでは5つの質問に触れていく。

  1. 一番幸せを感じるときはいつですか?
  2. ミスチルはあまりすきじゃない 最近は仲がいいと聞いたけど?
  3. 歌詞変態系多い 経験済なの?
  4. 目の前で女のこ泣いてたら慰める?
  5. マサムネくんにとって”最後の言葉”とは  

 当時は、ミスチルと比較されることが多かったのでインタビューでは都度「意識されているんですか?」という質問も多かったのですが敵対心を思わせる回答はしていません。どちらかというと、「あんな大衆の心をつかむような上手な表現はできないな」という否定的な発言の方が多いです。

🌸『ハチミツ』――誰も触れない二人だけの国の国歌みたいなものを作ろうかなと思って(1995年9月号)



 冒頭のコメントは「ロビンソン」の歌詞から。ロビンソン大合唱は実際あって、宗教みたいだなあと、やっぱり1人で歌う曲だと感じたそう。陽ミスチル 陰スピッツていうイメージ。独り言のような歌ばっかり作ってるから。B級ソング好きというか。

 筆者はスピッツファン27年目ですが、そんなに好きじゃなくてライブで聴いて初めていい曲だなと感じた程度です。仙台サンプラザホールというところで聴きました。ロビンソンは本当はB面で、A面に「俺のすべて」を持ってくる予定だった。これはライブのトリでよく歌われる曲で、終始タンバリンたたいて飛び跳ねたりするポップな曲でかなり対照的な曲である。この選定で自分たちの音楽人生がひっくり返るとは・・と別のインタビューで話していたのは鮮明な記憶である。このアルバムでスピッツは頂点へ!

 「空の飛び方」から曲調に変化がでたのは、新しい彼女になって自信持たせてくれる存在があったからだと公言されている。

🌸『インディゴ地平線』――相変わらずヘソ曲がりなことを一生懸命、真面目にやっていきたい(1996年11月号)



 アルバム手こずり。キーマンはてっちゃんとなる。7/7渚は七夕ソング。でもアルバム出たのは10月だった。花泥棒はテッちゃんの自作で他の楽曲もCMタイアップの曲も多かったので、結構焦っていた模様。ここでも、ミスチル と対比するトークが満載であった。売れ出しても調子に乗らずコツコツ曲を生み出す活動は今も健在なのだ。

🌸『フェイクファー』――囚われないスピッツ元年、今年はそんな年かなという予感がする(1998年3月号)



 笹路さんから離れて自立しようと決めてできたアルバム ツアー60本こなす中、沖縄休暇 ゆるいポップとロックができた集大成。ファンとしては頂点をとった至極の一枚である。笹治プロデューサーで製作活動してきて安定感を求めてきたスピッツとしては、このままだとずっと同じだから一旦離れようと決心してできたアルバムでもある。

 前作引き続き、CMタイアップ曲が続くなか謙虚な活動は変わらず。未だライブでもこのアルバムから必ず選曲されるほど強烈な支持率を得ている。代表曲は「楓」、「運命の人」、「仲良し」、「フェイクファー」。

🌸20000字インタヴュー


草野マサムネ

 幼少期から死と向き合うことが多い。友達が事故にあうとか、友達の彼女の死(※夏の魔物の歌詞はこの彼女のことを揶揄していると諸説あり)そのためか、マサムネさんの歌詞の世界観は前述されているが「死とセックス」につながっているのではないか。あまにじゃくな性格もあり恋愛もそんな感じの「ツンデレ」デビューからの10年はまさにこの性格が表に出ているであろう。


三輪テツヤ

 静岡出身で担当はギター。ベース田村君とは同じ小学校からの同級生。双子の兄妹で誕生して体弱くて死ぬ運命だったと占い師に言われたことがある。ロックにはまったのは中学生くらいの時から。田村君の影響ではまり、ハードロックにのめり込む。典型的なメタル少年。音楽やるために東京出てきて、すでに東京の大学でマサムネ君と田村君が組んでたバンドがあってそこで落ち合う。ドラムはサキちゃんに「ちょっとやらない?」と誘ったのがきっかけだそう。始めはマサムネと合わないんじゃないか?と心配されたが、田村くんの采配もありスピッツのメンバーに。

 ロビンソンで自分のギターのアルペジオに自信がついた、SPITZを自覚する。ロビンソンは売れたとかじゃなくてアルペジオしかないサウンドが嫌だったんだ、それしかできないみたいで。けど、ロビンソンはてっちゃんのアルペジオから始まるんだけど、マサムネが「ロビンソンが売れたのはアルペジオのおかげかも」と話してくれた時があってそれがすごいうれしかった。


田村明浩

 静岡出身で担当はドラム。テッちゃんとは小学校からの同級生。中学で卓球とヘビメタにはまる。受験リスク減らすために東京の大学へ。そこでマサムネくんと出会う。そこで「バンドやるか」て話になり、幼馴染のテツヤってのがいるってことで、ギター引っ張り、テッちゃんがサキちゃんをドラムに引っ張り、マサムネと合わせる。最初のライブは今でも憶えてる「マサムネが緊張しちゃってMCもできなくてテツヤがやってた(笑)」


崎山龍男

 栃木出身でSPITZ1番コワモテ。中学では剣道部でも活躍される。大学は免停で受験できず、専門学校ではバンド三昧。当時、いろんなバンドのドラムを掛け持ちしていたが、SPITZバンドに誘われたが穴埋めで入り、仮入のまま10年。いまもまだ仮入?ここでは、10年間のアルバムの振り返りトークが多い。アルバム「フェイクファー」は売れる寸前と、わかるのに時間かかるバンドなんだなと。

🌸あとがき 草野マサムネ



 1991年、世界は湾岸戦争やソ連崩壊があって激動な年にスピッツはひっそりデビューするんだけど国内ではバンドブームなんて盛り下がっちゃって、インディーズでも取り上げられることなし。そんな中ジャパン誌はカラーでスピッツを取り上げてくれてた。ルナシーみたいな「この人シロートじゃない!」みたいなオーラぶっぱなしてみたい。古いジャパンのインタビュー記事読んでもシローとポイだなー。

 「死とセックス」について話しても発言に重みがないなとネガティブな発言も続く。1999年に何があっても(当時ノストラダムスの大予言があった)変わらず皆さんの耳に歌を届けよう、それだけです!とつづられ終わっているが2023年の今も変わらず続いている。

 当時のデビューバンドで、事務所も変わらず、メンバーチェンジもなく、活動中止もせずずっと走り続けているのは「スピッツ」だけなのである。

 あれから25年の歳月を経て、進化した新しいスピッツ自記伝が刊行される。ファンにとっては待望の書である。次回はスピッツ2の感想をお届けしたい。

スピッツ2

https://www.rockinon.co.jp/business/publication/book/178044

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